東芝メモリ(株)
キャリア採用

四日市工場ストーリー

~DRAMからNAND型フラッシュメモリ、
そして3次元フラッシュメモリへ~

半導体開発の“聖地”として。

東芝の半導体メモリの開発・生産拠点である四日市工場。東京ドーム約10個分という44万m²の広大な敷地に、最先端の半導体製造設備が展開され、約6,000人の人々が働いています。
現在、この工場から生まれる主力製品はNAND型フラッシュメモリ。プロセスルール15nmの2次元の製品がメインですが、同時にセルを多層に積み上げる3次元フラッシュメモリ「BiCS FLASH™」の研究開発や生産も進んでいます。
誰も踏み入れたことのない新しい技術への挑戦が続く四日市工場。世界の半導体の歴史を知る者にとって、ここは困難な技術課題と市況変動の波を乗り越えて存続してきた、“聖地”の一つとも言えるもの。その歴史を簡単に振り返ります。

CHAPTER 1
生き残りをかけて、
DRAMからNANDへの
全面転換を決断。

1992年、東芝グループや地元経済発展への期待を一身に受け、四日市工場は最先端メモリ製品の量産拠点として発足しました。まずはDRAMの先端工場として16メガDRAMの生産からはじまり、64メガDRAM、128メガDRAM、SRAMなど、当時における次世代メモリ製品の生産を次々と進めていきました。しかし、汎用コンピュータからパーソナル・コンピュータへという市場ニーズの大きな変化に伴い、求められるDRAMの質も変化。韓国や台湾などのアジア企業が一気に台頭し、東芝のDRAM事業は大きな苦境に立たされることになります。
IT不況の影響などもありDRAM市況がますます悪化していく中、2001年12月に東芝はついに汎用DRAMの製造・販売の終息を発表。今後はNANDを中心に高付加価値のメモリ製品に特化していくという大きな決断を下します。

CHAPTER 2
微細化・高速化の推進で、
世界市場でのプレゼンスを
高め続ける。

翌2002年から、NAND型フラッシュメモリの製造を四日市工場に集中。応用分野拡大の努力もあり、さらには、普及をはじめたデジタルカメラやカメラ付き携帯電話向けにNANDの市場規模が爆発的に拡大したため、2003年に増産体制を急ピッチで構築することになりました。
その後も設備投資を次々と行い、生産効率の高い300mmウエハーにも対応するなど、継続的に量産規模を拡大。「多値化」「微細化」の両軸での技術革新を進め、常に競合に先駆けて世界最小チップサイズの大容量NANDの開発を追い求めてきました。
その技術革新は、スマートフォンやタブレットが勢いを増し、またコンピュータのストレージが従来のHDDから高速・省電力のSSDに置き換わりつつある時代を先取りしたとも言えるでしょう。
また、四日市工場がメモリ市況の変化に柔軟に対応し続けられた背景には、常に採算を重視した生産計画を遂行するなど、生き残るための競争戦略を徹底したことも挙げられます。

CHAPTER 3
微細化限界を突破する
3次元フラッシュメモリ。
「BiCS FLASH™」量産も
四日市で。

これまで東芝社内で営々と基礎研究を重ねてきた3次元フラッシュメモリ「BiCS FLASH™」の研究を量産工程にシフトさせるにあたっても、四日市工場は大きな役割を果たしました。「BiCS FLASH™」は2015年に48層製品のサンプル出荷が始まり、さらに64層の新製品についてもサンプル出荷がスタートしています。これら積層プロセスを用いた「BiCS FLASH™」メモリの製造は、2016年夏に竣工した新・第2製造棟が中心になります。
「BiCS FLASH™」の量産にあたっては、製造装置、検査装置から集まるビッグデータを収集し、それをディープラーニングなどの人工知能技術で解析してさらなる生産性向上につなげるなど、生産技術の革新も進んでいます。
四日市工場の増強のために、2018年までに8,600億円を投資することがすでに発表されています。ウエスタンデジタル社とも協調して投資額を分担することでリスクを軽減しつつ、さらに効果を増していく計画です。
四半世紀を超えて半導体技術者と共に歩み続けてきた四日市工場。これからも世界の半導体開発の最前線に立ち続けます。